当事者ではない人としてのLGBTの話 パート2
そういえばあの記事の続きは次のでとか言っちゃったな~
結論はちゃんとあるよ~ここに
書かなきゃな~
..........はっ、、そういえばあの記事の続き....
と思い続けながら気がつけば1年半ほど経っておりました。
「なぜ性別などのくくりを超えた恋愛の形に、(今のところ)LGBTではない私は心からの喜びを感じるのか?」
という話でした。
当事者目線ではなく、あくまでも外側からみた意見で考えてみようと。
そしてその結論はというと、
LGBTQだと公表しその恋愛観を貫いている方たちは、本当の意味での自己愛を持っているから。
(そしてその自己愛の上に発生する恋愛は自然と愛が溢れるものになる)
ということに辿り着きました。
今でこそ異性愛などは公表、または受け入れられやすい世の中になりましたが、それでも自分との葛藤や周りからの批判など、様々な思いを抱えてきたことがあるのだろうと思います。
周りの人にバレないように自分を必死に隠したり、自分がおかしいのかと思ったり...
そういうことを少なからず経験してきたことがあるのかな、と思います。
(もちろん、そんな思いはちょっとも感じずにはじめからそんな自分を自分として理解し受け入れてきた方もいると思いますが☺︎)
そしてそれはものすごく勇気のあることだろうと思います。
少なくともいわゆる今までの恋愛観とは違うわけです。
新しいものというのはどれだけ良くても、はじめは受け入れられず難しい状況に立たされることがあります。
そんなものを乗り越えてきた、自分を理解する心、それを自分としてそのまま受け入れるということ、
それらはほんとう〜〜〜に強く、そしてなによりも 本物 であると思います。
インスタに載せたいがためにカップルで行くイルミネーションとか、今1番アツい注目インスタ映えレストランとか、、、
そういう見かけのものよりもはるかに強くて、真実で、答えで、本物の愛の形、なのです。
そしてそれはやはり、自己愛
がなければ成り立たないのでしょう。
常識を打ち破ってまで、私はこうだ!!!と思える強さは素晴らしいです。本当に素敵です。
ありのままの自分自身を理解し、受け入れる。
これに尽きると思います。
SNSが発展して他社の生活が近くなり、自分のものと比べたり、落ち込んだり、そういうのがしやすい世の中だからこそ、
多くの人が「本来の自分の美しさ、素晴らしさ」に目を向けることを忘れてしまっている。
私たちはLGBTの人たちから、こういう人生において本当に大切なものを学べるのかもしれません☺︎