楽に生きる。

我が人生、気づき多し。

学校っていらなくね?

 

なんとなーく、1年半ぶりくらいにこのブログを開いたらまた色々書きたくなって。

私このときからもさらにいい方向へ変わったな、そういえばこんなことで悩んでたな、意外と文章うまいなあたしへへへへへ、とかいろんなこと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

ブログ再開させようかしら、の第一弾は学校のお話。

 

 

学校って誰しもが疑問も持たずにとにかく行くものだと思って行ってますよね。(金銭的に理由があって行けない/行けなかった方などが読んでいましたら、すみません)

 

国語数学理科社会とか主にそんなこと学びましたが、それも特に当たり障りのないことですね。だってほとんどの人たちがそうやって生きてきていますから。

 

 

 

 

私は高校時代に、大学受験のため通っていた塾が大大大大だいだいダイダイダイ大だいだ〜〜い好き!!♡♡♡だったのですが、その塾の中でも特に尊敬していた先生がこんなことを言ったことがありました。

 

 

 

 

「俺は片付けがほんとに苦手なんだよ。まじでできない。ほんとに家政婦雇いたい。

 

もし整理整頓が受験科目だったら確実に俺はどこの大学にも受かってないし最低ランクの人間だったと思う

 

 

 

 

そのときはみんなあはは~なにそれ~って言って聞いていました。私も然り。

 

しかしそれをなんとなくあとから考えてみたのですが、

 

そういう世界もあったかもしれないのです。

 

 

 

 

 

どういう世界かというと、受験科目の中に整理整頓という科目が必修である世の中、です。

 

 

 

たまたまこの世界では、国語数学理科社会....が勉強科目として、受験必修科目として存在していますが、それも(いわゆる一般の)学校が、その科目を軸に勉強を展開しているから、に過ぎないのです。

 

そう考えると私は整理整頓と国語数学理科..........がなんとなく同じ立ち位置にいるというか、別にどちらでもいいというか、そういう風に思えてきます。

しかもどちらかというと整理整頓のほうが、日常生活を送る上では役立ちますよね。

 

 

 

 

 

 

何十年後か、はたまた何百年後か、それは分かりませんが、

子どもが成長して一定の年齢にいったら義務教育である小学校に入る、というお決まりの「型」はいつかは絶対になくなると思っています。(なくなるまでいかなくても、それを選ばない人のためにも、新たな選択肢がある、くらいのレベルまではいくと思います)

 

なぜなら国語数.................はあくまでも、

 

 

今の社会で重要だと、国家が決めたひとつの指針

 

に過ぎないと思うからです。

 

 

 

 

ゲームのプログラミングやロボットの作成など、いまの子どもたちは、私たちが子どものころには想像もつかなかった色々な新しいことをやりはじめています。時代が変わっているんだから当然です。

 

 

変わっているのが当然なのに、教育の形が変わらないのはおかしいと、なぜ多くの人は思えないのでしょうか??

 

 

もちろん役に立つこともあるけれど、大体は忘れる学生時代の勉強内容。

 

だったら自分が学びたいことを学ぶほうがハッピーだしよっぽど生産的なんじゃない??

 

 

 

 

 

学校、教育、というテーマでこれからも色々な記事を書いていきたいと思っています。