行動行動ってばっかりうるさいな!
「行動することが1番大事」
「なによりもまず行動すること」
「行動しなけりゃ何も始まらない」
「とにかく行動!!!!」
「行動だ!!動け動け動け動け!!!!」
こんな言葉って世の中に溢れかえってますよね。
どの自己啓発本を読んだって行動の2文字が書いてないものはないんじゃないか。いや多分そんなことはないけどもそれくらいのレベル。
これ書いてないっていう本あるならそれ私のとこにもってこいや!!!!
ってレベル。
ただ
この「行動」という言葉。
私はこれに対してずっと違和感を抱えてきました。
確かに1歩踏み出さなきゃ何も変わらない。
やらずに後悔よりやって後悔、という言葉がありますが、やらなかったらそれはもちろん後悔だけど、やったらそれはもはや後悔ではなく、大きな学びになる、と思っています。
行動するのはとてもとても大切で重要なこと。
それは日常的にもよく感じながら生活しています。
でも、あまりにも行動行動ばかりみんないうもんだから、
私はこれ、少し 脅迫概念 的になってるんじゃないかな、と感じます。
しかも私の感覚的に、偉大だとされている人ほど行動、と言っている気がする。
成功を収めた人が言ってるんだからそりゃあ真実に間違いないですよね。余計にそれが大事なんだ!!と思います。
これは私の経験なのですが、
ここまで行動が大事!!と言われると、いざ自分がそういう状況になったとき、その言葉が蘇って逆に萎縮してしまうんです。
行動が大事なんだ。やらなきゃ!動かなきゃ!勇気を持って1歩を踏み出さなきゃ!!
そう思って、○○(ここでは行動)しなきゃ!という義務に変換されます。
それって純粋なその人の○○したい!じゃない気がします。want to じゃない、have to になってしまってる。
そうして仮にそれをやらなかった場合、自分はダメなんだと責めてしまう。動かなきゃ分からないのに、と。なんでやらなかったんだどうしてちょっとの勇気が出なかったんだ、と。
うーん、これって私だけなんですかね。複雑に考えすぎなのかな。気になる。
でもやっぱりなんとなく、この行動、という言葉は綺麗な人生の教訓である反面、恐ろしさというか人を責めかねないというか、そういう面もあると感じます。
もしこう考えるのが私だけじゃないとしたら。
行動できない自分が嫌だと感じている人がいたら。
別に行動できなくたっていいんです。
そういう自分を受け入れてあげてください。
旅行するためには準備が必要です。荷物のパッキングをしたり、飛行機や新幹線のチケットを取ったり、行きたい所の場所を調べたり。
もちろん人によって準備の度合いは違いますが、それでもやっぱりある程度のものは必要です。
私は、行動するときもこれと同じだと思います。
未来へと動き出すには、まず自分の準備を整えることが大事。それは今の自分の考え方や状況かもしれないし、それが結果的に過去の自分に繋がってるかもしれない。
自分の今の状況もわきまえずに、無計画に飛び出せばいいってもんじゃない、と言っている訳ではありません。
とりあえず始めてみて、やってるうちに分かる人だって大勢います。
でもこれはそういう次元の話ではなく、まず、行動するのに多大なる勇気と力が必要な場合、です。
ただでさえ今の自分に自信がもてないのに、さらにどうなるか分からない未来へ踏み出すなんて2重で不安ですよね。
だったら無理して行動する必要ないんです。そんなときは、今の自分と向き合って声を聞いてあげればいいんです。
そんなとき、行動できない自分を責める必要は1%もありません。0.000000001%もありません。
行動は、強制させられるものではありません。
ダンスが好きな人が曲を聴いたら思わず踊り出さずにはいられなくなるように、食べることが好きな人が美味しそうな料理を目の前にして我慢ができなくなるように、
行動するとき、それは思わず〜せずにはいられない!!という気持ちで、恐怖とか不安とかはあまりないはずなのです。
(もちろん、大事なプレゼンがある、などの状況ではある程度の緊張感はプラスに働くこともあります。だからそういうのも大事ではあるのです。プレゼンすることが大好きな人は発表せずにはいられない!という気持ちで臨むのでしょうが(*´-`))
そしてそれは、今の自分と向き合い、準備が整ったところにやってくる感情なんじゃないかな、と思います。
行動が大事!ということは全員が知っている。だってみんながいうから。偉大なあの人たちだって口を揃えて言うから。
でもただ大事!!ってだけじゃなくて、
それを実感するためには自分にはどういうやり方があってるのか?どうしたら自分が楽な方法で動き出せるのか?
そういうのを少しずつ少しずつ分析しながらやっていけばいいと思うんです。
すぐ動けなくたっていい。
上にいくためにはまず、下を安定させなきゃならないんです。
(今読んでいる『アミ、小さな宇宙人』という本の第2弾、『もどってきたアミ』にこんなようなことが書いてありました☺︎)
一見逆走しているようで、全くそんなことはありません。むしろそのまま動いたよりもっと遠くに、高く飛べると思うんです。
進むために、今または過去の自分を認め、受け入れましょう。
そうして準備ができたら、次も少しずつでいいです。
いきなり大きな1歩を踏み出そうとしなくていい。小さくても進めたなら、目いっぱい褒めて喜んであげるといい。
とにかく自分らしくできることはなにか、自分が楽でいられる方法はなにか、
そういうことを考えれば頑張った感覚がなくても、自ずと進めているはずです。
自分を大切にしてあげましょうね。
私も一緒に、ゆっくりと確実に進んでいきます☺︎
※恐ろしく私の感覚的な話でした。理解されないかな~というのは承知で書いております。
自分と向き合う
前回はなぜ私が休学したか、の理由でした。
留学する!とか旅行する!とかはっきりした理由がないので、なんで休むかなんか1人1人に詳しく話したりしなかったんですが、まあ~みんな色んなこと言ってきました。
しかも面白いことに、休学する、と伝えるとみんな
「なんで?」
じゃなくて
「何するの?」
って聞いてくるんです。ほんとに。ほぼ全員。
それに加え
「留学しなよ」
「バイトでお金稼ぐんでしょ?」
「遊びの期間ってこと?」
とかもうほんとに色々。
まだ休学することに後ろめたさとか、なにするんだろうっていう不安を抱えていた私。
私の人生だよゴチャゴチャうるせえよ!!
とは思っていたのですが、これ!!っていう目的もないまま休学したことへの不安でみんなの言葉が図星に感じてしまう。
そうだよな、留学しなきゃだよな、旅行もしなきゃ、何かしなきゃ何かしなきゃ何かしなきゃ。
と思って焦りのほうが募っていきました。
私は、以前からお世話になっていたのですが、パニック障害になってからは特によく会って頂いてるカウンセラー(のようなもの)の方がいます。
人間って顕在意識が5%、潜在意識が95%の生き物で、潜在意識によって自分、という人間を左右されているらしいのです。
だからどれだけ顕在意識でこうしたい!と思っても潜在意識がそれと逆のことの思っていればそれには勝てない...という感じ。ざっくり言うと「思い込み」ですかね。
その方はこういった潜在意識を変えるお手伝いをしてくれる方です。色んな自分の思い込みを変えてくださり、生きるのがとても楽になりました :)♡
その方は家族全員(お父さん除く)でお世話になっていて、毎回会うたび落ち着くような、幸せな気持ちになれるような、そんなパワーを持った方です。家族みんな(お父さんは会ったことないけどきっと)大好きです。
私はパニック障害、学校に対する軽い鬱、さらに遡れば高校のときの不登校、小学生の頃くらいからの癖であった自分を責める考え方。
様々な精神的な(私的)障害がありました。
どれも辛くて辛くて(今となっては昔の話ですが)、これが直るとか直らないとか、そういうこと考えたこともありませんでした。
でもこの方に話を聞いていってもらううちに、本当に色々変わっていったんです。
結構感覚的な話なので、具体的に説明するのは難しいのですが...。
大きく変わったな、と思うことの1つは、
自分を認めるようになれて、そのおかげで起こる出来事も変わってきたこと
です。
以前にも記事にしたのですが、これ実は教えていただいたことなんですね。
具体的にやったこととしては、
まず私は日常の中でいつも自分を責める考え方をしていました。
大人数で遊んだ時があったら、あの発言でみんなしらけてなかったかな..
あの言葉はあのとき言っちゃいけなかったな..とか色々。
それで自分はなんてことをしてしまったんだしてしまったんだうわあああってなります。
それが毎日必ず5回は起こるのです。大勢で遊んだ時に限らず。遊んでても遊んでなくてもどんな状況でも。
そうやって思いそうになったとき、自分を責めるかわりに、そんな責める自分も含めて全部、認めていきます。
そうだね、あの言葉がダメだったと思っちゃうね。うん、いいんだよ。大丈夫だよ。
心がじわ~とあったかくなって安心していくのが分かります。そうして安心するまで自分を認める言葉を自分にかけていきます。
これは、セラピストの方に教えてもらわなければ、今も決して知らなかったことです。
そしてこれを続けていくことにより、なんと、私の周りで起こる出来事がどんどん嬉しいように変化していったのです..!!!
1番分かりやすくて大きかったことといえば、
12月のはじめ、サークルと、お世話になっているダイビングショップのそれぞれでクリスマスパーティーがありました。
それぞれで抽選とビンゴ大会があったのですが、
なんとあたしは、そのどちらともで、
ディズニーのペアチケットを当ててしまったのです.............。
信じられますか。どちらもでですよ。ということは今私の家にはディズニーチケットが4枚あるということですよ。
私はビンゴとかそういう抽選とかというと、まあまず当たらない。ビンゴに関してはリーチを連発して最後の最後で残念賞のティッシュもらう。みたいな。万年そんな感じだったんです。
でも今回は、これまたなんと、1番にビンゴになり、1番高価であったディズニーペアチケットを、自分の手で、引き当ててしまったのです.......!!!!
こんなの初めてでした。
1回目当てただけでもびっくりだったのに、
「今度もディズニーペアチケットあてたらおもろいなあ~」
そうかる~く思っていたのを引き寄せてしまいました。
この出来事だけ見たらたまたま運が良かっただけに見えるかもしれませんが、
11月末頃から、自分を認める、という作業をしていき、少しずつ少しずつこういうハッピーなこととか、シンクロとか起こるようになってきてからのこれだったので(説明するとだいぶ色々あるので省きます☆)、
これは確実に自分に対する向き合い方が変わったからです。
まあなんか長々と色々書いてきて何の話だったっけって感じですけどこれは休学の話でしたよね。結局なにしてんのっていう。
私がなにを言いたかったかというと、
休学中は、自分と向き合い、自分の辛かった部分や考え方の癖を見つけ、それを直し、新たな自分になること
をしている、ということです。
こういうことが大学行きながらでも出来る人は大勢いると思うんです。またはそもそもよくピンとこない人。
私にとっては19年間、こういう風に成長してきたのでほんとに変えたい自分の部分でした。なんでいつも苦しいの?って。
しかも私は超絶不器用人間。
人間関係や自分と向き合う、ということに関しては0か100かしかできないんです。
だからこそ、私は自分の生活を乱す学校生活を断ち、自分自身と真っ向から向き合える時間をとり、昔の自分と断裂して今まで隠れていた本当の自分を見つけ出していくしかなかったんです。これが、私にとってはベストでした。
だから生活自体はなにをしているの?というと
映画観たり本読んだりYouTubeみて英語の勉強したり、気になっていたご飯屋さん行ったり家でゴロゴロしたりたまにバイトしたり。そんな感じです。
でもこれが、私にとっては
「自分で選択して、自分の人生を生きている」
という実感と大きな自信となって幸せをもたらしてくれています。
人との関わり合いも少ないし毎日同じことしてるようにも見えるけど、なんとなくの友達となんとなくの大学生活を送るより、 はるかに今の方が人生が豊かだと、はっきり断言できます。
休学を決めた時はそんなこと全く考えてなかったのですが、今年は20歳になる年です。
20歳になる前に、こうして自分と向き合って色々なことに気づいていっていることにも、何か巡り合わせというか、タイミングよく出来ているなというか、そういう風にも感じています。
成人する前に自分を確立していく作業ができて、とても嬉しいです。
今はもう、私の休学中の過ごし方について指図してくるやつに、心からの
「うるせえよ」
がお見舞いできます口悪い
これできればそういう人たちに見て欲しいんだけど、そもそもそういう人たちにはブログ公開したくないからもどかしい........笑
少しでも分かっていただける方がいたらそんな嬉しいことはないです。
以上、大変長くなりましたが私の休学ばなしでした。
人生なにがあっても大丈夫です☺︎
私が大学休学中な理由
2019年明けまして、今年の、私の言葉の1つは
自己表現
です。
なので今更ですが、ざっくりプロフィールを紹介したいと思います。
都内大学の1年生、19歳女。2019年の今年、20歳になる年です。
趣味はサークルで始めたスキューバダイビング、KPOPのダンスの完コピ、映画鑑賞、YouTubeで英語の勉強、とか色々。
年齢だけだとプロフィール紹介とか言うまでもないから趣味書いてみたけどどうでもよ。
今までの記事ですごい上から目線なこととか言ってるからなんとなく自分の年齢明かすの嫌だったんですが、2019年の目標の写真あげたとき20歳になる年、って思いっきり書いてあったし。なにより自己表現だから。いいかなって。
ですが、大学1年の後期である今、私は大学を休学しています。
ありがたいことに金銭的に、とか家庭の事情で、ということではなく。恵まれてます。
じゃあ留学してるの?っていうとそういうことでもなく。休学中は日本から出てません。
じゃあなんで????
私が通ってた都内の私立高校って、いわゆる「自称進学校」で、なによりも受験、もっと突き詰めればGMARCH以上の大学に合格することが1番大事な学校でした。
高校入学したその日から大学受験の話をされ、毎朝欠かすことなくホームルームの前に小テスト、大量の訳のわからん規則、頭のお堅い先生たち。
「リボンが下がってる(第1ボタンがリボンで隠れていない)人は成績も下がるよ」
って言われたこともありますいや意味分かんねえ!!!!
そんな校風が私には合わず、3年間ずっと学校休みがちで一時は不登校になってましたね。それでもちゃんと卒業した私、ほんとに偉い。
そんな感じだったからもう自由の象徴である大学生がほんとにずーっと楽しみでした。
大っ嫌いな高校とおさらばして大学生になったらこんなことしようあれも勉強しよう、やりたいこと見つかるかな!ワクワクキラキラ!!!
とにかくなんでもいいからはやく大学生になりたかったんです。
第1志望ではなかったものの、無事受験に合格し高校も卒業して、晴れて憧れの大学生に!♡♡
新しい友達もできてサークルにも入って空きコマランチとかしちゃって、ああ、これが夢にまで見たキャンパスライフか........╰(*´︶`*)╯
になる予定
だったんです、が、
5月中旬からはじまり6月末にかけて、盛大に病みました。
大学生つまんなくね.......?
今日は火曜日だからこの授業。だから何時に起きて何時には家を出なきゃ。ああそうだ今日はバイトもある。また帰りは24時過ぎるか....。
想像していたような楽しいことなんてない。授業が始まる時間に学校に行き、終わったらすぐ帰る。授業中はいけないと分かっていながらも、ひたすらスマホを見る。対して見ることもないのに。
一緒にいる友達も出来たが、あんまり合わなくて遊んだりとかはしたいと思わない。
飲みサーは嫌いなので活動日が月1のダイビングサークルに入ったため、学校終わりサークルに行くこともない。
バイトもはじめたが、人間関係がとっっっても窮屈で、本気で泣きながらバイトに向かって働く毎日。
そんな感じで淡々と毎日を過ごして、その決まり切った機械的な生活に、明らか自分に合ってない生活に、息のし辛さを覚えました。
5月下旬くらい、1回大きく体調を崩して、39度まで熱をだしたことがありました。
多分もう体力的にも精神的にも(主にこっち)限界だったんでしょうね。
何日かして熱は下がったんですが、その後の体調がまあ治らない。
鼻づまりが治って空気が通るようになってるはずなのに、食べ物の味を感じなかったんです。3週間くらいずっと。何も美味しくない。
何も楽しくなかった何に対しての意欲もなかった何をする気にもなれなかった。
今から考えたら軽い鬱みたいな感じだったんじゃないかな、と思います。
そのとき、
休学したい
と心から思いました。
嫌だとは思っているけど、学校行ったら結局またスマホみて授業受けるんだろうな。そのままなあなあに過ごすんだろうな。流されるんだろうな。
だったら、いっそこの環境を断ち切りたい。
何をするか考えてからにしよう、じゃなく、とりあえずまず今の環境を変えたい。
そういう思いでした。
このとき本気でそう考えてはいたけど、ほんとに休学するとは思ってませんでした。
もちろん何するんだろうっていう不安はありましたし。
でもそれから、学校について自分のやりたいことについて考えるようになりました。
ここがいい!と思って入った学校ではないところに、真剣に向き合い始めたんです。
そこから友達の助言を受け、本当に後期休学することになるのですが......😇
今なにをしているかも書こうと思ったんですが、思いの外長くなったのでそれは次にします。
こうやってみると私、ほんとに人生悩んでばかりだなあ。笑
結果の前に
「今までの人生でいちばん心に残ってる出来事ってなに?」
そう聞かれたら何て答えますか?
それが楽しかった出来事、辛かったこと、そこから立ち直ったことなど、様々あると思います。
私にとっての1番の思い出の1つは、
中学3年のときの合唱コンクールです。
合唱コンクールというと、
「ちょっと男子ぃ~、ちゃんと歌って~」
「うるせえなあ.....」
が真っ先に浮かぶのですが私は。
残念ながらそういう話ではなく。
私のクラスは、担任の先生がまさに「熱い」先生でした。先生という職業が天職だと思うあの人は。
〇〇先生っていう呼び方じゃなくて、○兄(にい)って呼ばれてた。舐めた生徒達だ。
年がわりかし近かったこともあり、全員で友だちみたいなクラスでした。
年度始めにはクラスのスローガンを決め、行事があるごとにそれに対するスローガンを決め、毎日毎日ひとつずつスローガンを決めそれは嘘。
教室の装飾もいっぱい飾ってある。
今そのときのことに名前をつけるならば、
中学校生活で楽しむことのできる最大まで楽しんでいるクラス
だったと思います。
そんな先生だから、当然行事は最強に燃えるわけです。
みんなで熱くなり、どうしたら勝てるのか、そのためにはなにが必要なのか、
そういうことを行事前になるといつも話し合って練習してました。
合唱コンクールも例に漏れず。
音楽の先生に教えてもらったことを中心に、吹奏楽部の人たちが先頭に立って練習していくわけです。
合唱コンクールの1番の鍵ってソプラノの声がどれだけ綺麗かではなくどれだけ音楽的な技術があるかでもなくじゃあなにが重要なのって
男子にやる気があること
まじでこれだと思うんです。
女子がどれだけ頑張ったって、男子がやらなければ合唱として成り立たない。
逆に男子がやるだけで、男にしか出せない力強い声と声量で一気にパワフルになり、合唱に厚みがでてそれはそれはもうありがとう!!
そういう点で(それだけじゃなくてもう全体的にだったとは思うけど)私たちのクラスは恵まれてました。
なぜそんなみんな真面目!?!?ってちょっと不安になるくらい男子全員がめっちゃ協力してくれてました。
「ちょっと男子~」って言ったことなんか1度もありませんむしろ「気合い入り過ぎて声大きいからちょっと抑えて」とか言われてた記憶さえあります。
いい子達だったんです何様。
だからほんとにうまかったです私達のクラス。
女子のソプラノとアルトもえげつない綺麗だし、男子に負けない声量もある。
協力してくれた男子と相まって、合唱部の綺麗なものとは少し違うけど、熱い先生筆頭の私達のクラスらしい、圧倒させる合唱でした。ほんとにすごかった。
合唱コンって音楽の時間以外にも、本番近くなると特別時間割になって教室で練習してたんです。(これ私達の学校だけかな)
確か対して本番直前って訳でもなく5日前とかそれくらいだったと思うんですけど、
いつものように放課後、教室で練習してました。
で私たちの熱い先生はほんとにどこまでも熱い期待を裏切らない。すぐ泣くんです。
行事で泣いてる担任の姿を何回見たことか。
普通の練習でですよ、その日歌ってたら急に
担任泣き出したんです。
いや泣いてる姿をちゃんと見たわけじゃないんだけど、教室の前を向いて歌ってた私たちを向かい合うようにして見ていた担任が、急に背を向けたんです。そしてしゃがみ込みました。
そりゃ泣いてるでしょうよ!!!
え、なんで今?まだ練習よ?ここで?
気づいた女子たちがそんな感じだったんですが、それは私も同じ。
ですが私も担任に負けず劣らず行事大好き人間。熱くなることが大好きなんです。
私も泣き出してしまったんですよね........。
ポロっ...とかじゃなくそれはもう歌えなくなるレベル嗚咽レベル。
気がついたら大号泣してました。
そしたらそれが他の女子に広がる広がる。涙の大伝染。豚コレラもびっくりよ。
結果的にほとんどの女子が歌えなくなり、男子がえ.......???みたいな空気になり、さらに何人かの男子も泣き出し。
感動的なはずなのにカオスでしたね。みんな顔ぐちゃぐちゃにして声も最悪で歌えなくて曲は中断。
ただ、この時、
「ああ、私別に結果とかどうでもいいや。優勝とかどうでもいいや。このクラスで出来て、こうやって心が震えるくらいの合唱をして、それだけでもうほんとにいっぱいいっぱいだ。」
心からそう思いました。
中学生最後の合唱コンをこのメンバーで、この担任の元で、こうやって素晴らしい合唱が出来ていること。
それだけでとてつもなく幸せだったんです。結果はほんとにどうでもいい、このまま終わったって1ミリの悔いもない、そう思ったんです。
幸せで胸が苦しくなること、今までの人生の中でこれだけです。
ほんとにほんとに心の奥底、自分の中の1番芯となる魂、そこから溢れ出てくる感情でした。
今でも鮮明にそのときの情景や気持ちを思い出すことが出来ます。
そのあとみんなで「何で泣いてんのー!」とかってわーきゃー言い合ってたんですが、
泣いたのは間違いなく担任のせいなんですよね。あの人がしゃがんだりするから。
なのに私のせいとして受け継がれてます、この話。
アイツが1番に泣き始めたのに......( ̄3 ̄)
結果としてこの合唱コン、優勝することが出来たのですが、それよりも大きなものを得ました。
たしかに優勝したのは嬉しかったですよ!?それはもう!!体育祭も優勝してたので2冠達成だねー!ってほんとに嬉しかった。
ただ私はこれを思い出すたび、優勝したことよりも、みんなで汚い顔して泣き合って笑ってたときのことが先に浮かびます。
結果なんてどうでもいい、と心から思ったあの瞬間。
いつしか、結果に囚われた生活を送っていませんか。
仕事でこれだけの成績を出さなきゃ。あの大学に合格するんだ。これくらい痩せてやる。
全て人生にメリハリをつけてくれる、素晴らしい目標です。
ただ、それよりも前に、今目の前にあることを楽しんでいるでしょうか。
物理的にも、過程は結果よりも前です。時間的に過程を経て、結果に繋がります。
過程をおざなりにしていては、「今この時」を生きているとは言えません。まだわからない結果のことを意識して生活しているのですから、今現在、自分が生きているこの時間をおざなりにしている、ということです。
先ほどあげた、素晴らしい目標たち。
そこに行き着くまでの今の過程の時間。それをもう1度振り返ってみましょう。
仕事が楽しいと思っていますか?
勉強が楽しいと思っていますか?
筋トレ、食事制限などを楽しく出来ていますか?
もし楽しんでいないと思ったのなら、自分で変えることができます。
仕事場に大好きな画家の絵を置いて、眺めながら仕事しよう。
前はできなかったこの問題が、今はできる。そんな自分を目いっぱい褒めてあげよう。
何を意識すれば楽しく痩せられるのか?毎日毎日運動しなくなっていい、たまには好きなとこに出掛けよう。
そんなちょっとの意識でも、楽しくすることができます。
そんな風に楽しんでいれば、自ずと結果はついてきます。そこにこだわるならば、まずは目の前のことを見つめ直しましょう。
急がば回れ、です。
みなさんが今日も、心が震えるほどの感動を味わって生きることを願っています。♡
新年に向けて
ちょびっとフライングだけど。
掃除して、断捨離して、いらないものは全部2018年に置いてって、気になることは全部消化して、スッキリして、
さあ来年もいい年だ。
この時期になると街中で聞こえてくる、
良いお年を、
が、好き。
良いお年を。
"どんな時でも"自分を認める
「自分はなんてダメなやつなんだ」
「この良くない出来事は全て自分が原因で招いたことなんだ」
「なんでこんなに何も出来ないんだろう」
そうやって自分を責めることはありますか。
私はあります。(今はだいぶ少なくなったので、ありました、と表現したい)
私らしい話でいうと、
痩せたいのに(多めに)お菓子を食べてとても後悔する。
「ああまた止められなくなってしまった。痩せたいはずなのに。どうして。やってしまった。うわあああああああ」
って感じでそこからは自己嫌悪のスパイラル。
それだけじゃありません。
昔は2ヶ月に1回くらいの頻度で、自分責める期がありました。
全部自分のせいだと思うから、責めて責めて責めて、それでどうしようもなくなって真っ暗になって、ベッドに突っ伏して泣き喚く日々。
定期的に訪れるそいつ。
ほんとに辛かった。
なぜそういうことが起こるのか?
それは、
自分を認めることができてないから
です。
こういう言葉よく聞くし、こうやって簡単に言うけれど、実はできてない人、多いと思います。
だって自分が悪いんだもん。
迷惑だってかけたのに、それなのに自分認めろって無理な話じゃない?
自分が原因で起こってしまったミスがあったとして、それが
「今回これは自分の責任だ。周りの人には申し訳なかったけど、こういうこともあると知れて良かった。自分成長のためになった。今度からは気をつけよう。」
こう思えるならば自分を責めることはないでしょう。
素晴らしい考え方です。私もいずれはこう考えられるようになりたいです。
しかし、それが出来ないから自分を責めるんですよね。
「私のせいだ。自分は使えないんだ。迷惑かけてごめんなさい。」
そうやって考えてどうしようもなく自分が嫌になること、ありますよね。
でもそれって、すごく辛いことじゃないですか?
(今はずっとミスしたことが原因で自分を責めてる、という状況を仮定してお話ししてますが)
ミスしてただでさえ落ち込んでるのに、それを責めるようなことしたら2重で負担がかかりませんか?
他人がこのような状況に陥って落ち込んでる時はどうでしょう。
「お前のせいだ。お前がしっかりしなかったからこうなったんだ。」
そういう言葉をかけますか?
おそらく誰もそんなことは言わないでしょう。
「大丈夫だよ。」
「そんなことないよ。」
「一緒に考えていこう」
そんな言葉を言ってあげるのではないでしょうか。
自分も同じです。
「大丈夫だよ。」
そう言ってあげなければいけないんです。
傷ついてる心をさらに責め立てるようなことはしては、自分がボロボロになるんです。
また、自分を責めては何も始まらない、とその感情を無理に消そうとすることも大きな負担です。
その感情が自分に生まれているのに見て見ぬ振りをしては、その感情が「もっと私にも気づいて!こっち見て!」と主張して大きくなります。
自分から生まれる感情はみんなかまちょです。冷たくしたら拗ねて、さらに気づいてもらおうと努力します。
消そうとすることは逆効果なのです。
"自分を認める"とは
どんな感情も消さずに、そのまま受け入れてあげる
どんな時でも、どんな状況でも自分に大丈夫だよ、いいんだよ、と言ってあげる
ということなのです。
難しいですか?
ならばちょっとずつでいいので、大丈夫だよ、いいんだよ、と自分に言ってあげましょう。
・自分が言った何気ない一言で友人を傷つけてしまった。それを気にして自分を責めている
→いいんだよ。大丈夫だよ。自分が悪かったと思っちゃうね。そうだね。(このとき悪気があったなかった、は関係ないです)
・人付き合いが苦手。だったら1人でいたい。でもこれはただ逃げてるだけかもしれない。自分はそんな弱い人間なんだ。
→そうか。人付き合いが苦手なのか。いいんだよそれで。それも自分だよね。
そうやって1つずつ認めていってあげてください。
こうするだけで、心はとても楽になります。
1つ私が考えるコツとしては、
自分の体の中に、自分を代弁する赤ちゃんがいると思うこと。
そしてその言葉もままならない赤ちゃんが何をいいたいのか、伝えたいのか、目から仕草からしっかり受け取ってあげて、理解してあげること。
そうすることで少しイメージしやすくなるんじゃないかなと思います。
(これはあくまでも私のやり方なので、こんな風に自分にしっくりくる形を見つけてください)
自分を責めそうになったとき、そのかわりにいいんだよ、と言ってあげること。
それを意識するだけでだいぶ変わります。
もう責めなくていいんです。
十分すぎるくらいやりました。
これからは、肯定していってあげる時間です。
パニック障害ってどんな感じ?
最近、テレビで
「パニック障害」
という言葉を見ることが何回かありました。
ジャニーズのグループ、king&princeの岩橋玄樹さんと、sexy zoneの松島聡さん
2人続けて、パニック障害により活動を休止していますね。
聞いたことあるけど、それってどんなの?
って感じの人が多いと思います。
私も、このパニック障害を今年の3月頃に発症しました。
今でこそほとんどは治りましたが、それでもたまに、危なくなる時が何回かあります。
今回は、私の体験を紹介しようと思います。
私が発症したのは家族旅行でカンボジアに行っていた時。
このとき、大きな喧嘩があったとかそういうのでは全くないのですが、なんとなくずっと、家族のあり方に対して違和感がありました。
(その違和感は前から考えていたことなのですが、言葉にするのは難しいです。
その家族の中にいる人しか分からないような問題、という感じと思っていただけるとありがたいです。)
そんな違和感を抱えながら、旅行中、心から楽しめずに過ごしていました。
話は遡って中学生のとき、
マンゴーが大好きで今までずっと何ともなかったのに、あるとき食べたら舌がすごく痒くなって、調べたら突然アレルギーを発症したみたいだ、
と言っている友達がいました。
なぜか私は、この話をずっと不安に思ってたんですよね。
「そんな突然アレルギーなることってあるんだ.....」
と思いました。
それから私はマンゴー食べる度、この話を少しだけ思い出すようになったのです。
「私もマンゴー大好きだけど、大丈夫かな。急になるんだから私もそういうことあるかも...」
そうやって思いながら食べるようになりました。(結局アレルギーになることはなかったのですが)
東南アジアはマンゴーが有名ですよね。
もちろん、カンボジアでもホテルで出てました。
朝、また「アレルギー大丈夫かな.....」
と少し思いながら食べ、観光に出かけました。
カンボジア滞在中ずっとお世話になっていたガイドさんに連れられ、車に乗って目的地に向かってるときでした。
考え事をしてた延長上です。
色々ずっと家族のことを考えて心から楽しめない。疑問や違和感を抱えたまま過ごす旅行はこんなにも辛いのか。ほんとは楽しみたい。どうしたらいいだろう。みんなは気づいてない。ほんとに楽しんでいるのか。こんなに悩んでるのは私だけなのか。そういえば朝マンゴー食べたな。アレルギー出ないかな大丈夫かな。こんな発展途上の国でアレルギーなんかなったらどうやって治療するんだろう。日本に帰るまであと3日もある。ここでなんかあったら治すことなんかできないだって日本みたいに医療発達してない。ああなんか不安になってきた。胸からなんかとてつもなく大きいものが湧き上がってくるもうダメだ!!!!!
気がついたときには車を止めて、降りたい、と叫んで車を止めてもらい、ドアを開け外に飛び出してました。
車に乗っていたのは私たちの家族だけだったのが幸いです。
自分でもなにが起こったのかよく分かりませんでした。
自分は家族旅行でカンボジアにいて、今目的地へ向かっている。
それは分かってる。
分かってるのですが、自分がどこにいて誰で何をしているのか、それが分からなくなる感覚でした。
車に乗れない。すぐに降りられないから。
落ち着くまで待って。
とてつもなく不安なの。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
そんなこと喋ってたと思います。
やっと車に乗れ目的地にも着くことができましたが、その間はずっとお母さんの膝に横になって自分を律することで精一杯でした。
とてつもなく不安な気持ちでいっぱいになっている自分に、大丈夫大丈夫と言い聞かせ続ける。
また次はいつなるか、すごく困ったような顔をしてしたガイドさんたちに迷惑をかけるかもしれない。
色んな気持ちがぐるぐるしてました。
昔大好きだった漫画「僕等がいた」で、パニック障害の描写があって少しの知識はあったので(まあ漫画の中の話でしかないけど)
これがパニック障害か...........
となりました。
パニック障害は目に見える病気ではないので理解されないこともあると思います。
そして体験した人でないと、なかなかわかることは難しい。
しかし、このパニック障害という症状、
これはもしかしたら誰でも体験しているのではないかと思うことがあります。
仲のいい友達や家族にこのような話をすると、
「私もそういう風になることがある」
と言われます。
うつ病や精神の病気がとても多くなっている現代ですが、日常の様々なストレスや自分の考え方、(日本はどうしても団体行動を主とする考え方が基本にあるので、そういう国のあり方にも関わっているのかもしれません。)
そういうようなことに苦しんでいる人が多いのではないかと思います。
はっきりとした病気ではなく、あくまでも感覚的なものであるパニック障害。
こういうものの全てを取り扱うときりがなくなるのだとは思いますが、それでもやはりこのような苦しみを抱えてる人がもっといるのかもしれない、という認識が広まっていってほしいです。
そして同時に、人々がもっとシンプルな生き方をできるようになり、このような病気が少しでも減ればいいと思い、
今後、自分に対しての向き合い方に関して、私が思うことも記事にしたいと思います。
(分かりやすいようにパニック障害を病気、という表現をしましたが、私は本来そこまで深刻なものではなく、あくまでも1つの考え方の癖、だと思っています)